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およそ【文学】とは言い難いけれど。

みなさまのコーヒーブレイクのおともにでもなれば・・・。

~ Ⅷ.Unforgettable ① ~

 

 Ⅷ.Unforgettable
 

 
 麗子には、もうどうしていいのか分からなかった。自分で自分の
気持ちが理解できなくなり始めていた。
 男とつき合って、こんなにも自分の心が分からなくなることは
初めてだった。

──ねえ麗子、あんたいったい何やってるの? いい加減に
しないと、そのうち勝也も愛想を尽かすわよ。そうなったら、
あんたはほんとにボロボロになっちゃうんだからね。──
 そんなとこだ。

 思い余って、麗子は豊に電話をした。男である豊にこんなに
込み入った話を打ち明けるのもどうかと思ったが、自分と勝也の
両方の性格を熟知している人物と言えば、彼の他には思い
当たらなかったのだ。
《──面倒臭いな、おまえら》
 話を聞き終えたところで、豊はまず言った。
「面倒臭いって……」
《だってそうやろ。お互い必要やってことがはっきりしてるのに、
何で最後にそうなってしまうんや。不自然やないか》
「深く考えすぎるのかな」
《そうなんやろな。鍋島は硬派やし、おまえは真面目やし。
気持ちよりも筋を通すことや理屈の方が大事やとでも
思てるんやろ》
「あたしは真面目なんかじゃないわ」
《どうかな。考えすぎるってことは、結局は真面目なんや》
「いい加減にしないと、きっと勝也はあたしが嫌になるわ」
《まずあり得へんな》と豊は笑った。《でも、ほんまにそう
思てるんやったら、さっさと踏ん切りつけろよ》
「それがあっさりとできれば、豊にこんな相談なんてしないわよ」
《多少の不安はあっても、新しい状況に飛び込んでいくことで
それが解消されるなんてこともあるかも知れんぞ》
「そうなのかな」
《あいつは絶対におまえを裏切るようなことはせえへんよ。
だって、あいつ自身がおまえといるのが一番心地よくて、
気が安らぐんやからな。おまえもそれは分かってるんやろ?》
「ええ」
《それやったら、頭で考えてたってあかんってことも分かったん
やし、あいつにすべてを任せてみろよ。こだわりをなくしてからで
ないととか、自分が納得できてからとか、面倒臭いことは
一切棄ててしまうんや》
「そうね……」
 麗子は長い溜め息をつきながら返事をした。
《何や。溜め息なんかつくなよ》
「溜め息だって出ちゃうわよ……もう自分でも何がどう
なっちゃってるのか、分からないんだもの」麗子は愚痴を
こぼした。
《情けないなあ、おまえほどの女が》
「そんな風に言わないでよ。あたしがそんなに完璧な女じゃ
ないって分かってるんでしょ」
 麗子はすねたように言った。「ねえ、豊が勝也の立場だったら
どうしてる?」
《俺のケースを訊いたって、あいつとのことでは何の参考にも
ならへんよ》
「あら、どうして?」
《あいつと俺は違うって、おまえもよう知ってるやろうが》
「どうかしら? あんたたち、違うようで似てるもの」
《似てないよ。少なくとも一つは決定的に違うとこがある》
「何?」
《間違っても俺はおまえを選んだりせえへんってとこや》
 豊は言って、得意げに笑った。

 

 そんなとき、麗子は突然真澄から自宅に招待された。
 麗子は当初、何か特別な用件か、あるいは祝い事でもあるの
だろうかと考えた。しかし特に理由があるわけではなく、正月
以来会っていなかったこともあって、近況を報告し合おうと
いうことらしかった。
 真澄が勝也と自分のことを知りたがっているのか、それとも
できればその話題は避けて欲しいと思っているのか、麗子には
はっきりとは分からなかった。けれども、真澄の方から誘ってきた
ところをみると、知りたいというほどではなくても、どうしても勝也の
話には触れたくないという訳でもなさそうだ。
 そのことで麗子が、よもやこれほど悩んでいることなど、真澄は
知りもしないのだから。

 この日は朝から玉あられのような雪の舞う寒い日だった。
昼前に自宅の玄関に姿を現した麗子は、刺すような冷気に
思わず大きなストールを頭からかぶった。そして、ここよりも
遥かに厳しいであろう京都の寒さを案じながら駅へと向かった。

 細い三日月形に切った口から湯気が立ちこめては消えていく
釜を挟んで、麗子は茶室の点前座の真澄と向かい合って正座
していた。
「寒かったでしょう? 芦屋の方も雪?」
 マスタード・カラーの無地の着物を着た真澄は、左手で柄杓を
持ち、右手で釜の蓋を開けながら訊いた。
「ええ。こっちよりも少しはマシだけど」
 緑と桃色の餡で作られた金時菓子を食べながら麗子は答えた。
「夜には止むらしいから。夕食も一緒にって、母が言うてるわ」
「いつも申し訳ないわ。お構いなくって、叔母さまに言って
おいてね」
「ええのよ、このところ上機嫌やから。今日麗子が来るのを
一番楽しみにしてたのも母やし」
「あら、どうして?」
「さあ」
 真澄は抹茶をすくって萩の茶碗に入れた。「あたしが、
お見合いの相手ともう一度逢うことになったからと違う?」
「あ──そうなの」麗子は俯いて菓子を口に入れた。
「麗子、気にせんでもええのよ」
と真澄は微笑んだ。「あたし、別に嫌々逢う訳じゃないから」
「分かってる」
「なかなか感じのええ人やったの。二代目やけど、仕事も
全部任されてはるし。あったかい人柄やし」
「そう。良かった」
「ええ。価値観とか、育ってきた環境も似てるし──何より
あたしのこと気に入ってくれてはるみたいやし」
「でも、あんたは──」
「ちゃんと気に入ってるわ。心配せんといて」
「だったらいいけど……」
「大丈夫よ。焦ったり、自棄になったりしてへんから」真澄は
言った。「麗子と勝ちゃんのことも、ちゃんと受け入れられてる
から。安心して」
「あたしはそんなこと全然気に病んでないわ。でも──」
「もうええやない、麗子」
 真澄は麗子の言葉を遮った。「何でいつまでもそんなに
こだわるの?」
「こだわるなんて……」
 麗子は大きく心を乱されていた。──こだわる。まただ。
自分でも、勝也や豊にも言われた言葉だった。

 ──何だかあたし、まだこだわってるみたいなの。
 ──前の相手か?
 ──こだわりをなくしてからでないととか、面倒臭いことは
一切棄ててしまうんや。

 自分でもどうしてしまったのか、まるで分からなくなっている
のだ。分からないなどというのを通り越して、まったく見当さえ
つかない。こんな時こそ、姉妹と思ってつき合ってきた真澄に
この揺れる思いを聞いてもらいたい。いや、そんなことできる
訳がない。

「麗子……?」
「えっ? あ……うん」麗子は造り笑顔を見せた。「ごめんね、
あたしったら。余計なこと言っちゃったわね」
「そんなことどうでもええの」
 真澄はきっぱりと言って、茶碗を差し出しながら麗子をじっと
見据えた。
「麗子、勝ちゃんと何かあったの?」
「何もないわよ」
 麗子は自分の表情が真澄に見えないように、必要以上に
俯いて茶碗を取りににじり出た。「まったく、うまく行ってるわ」
「ほんとに?」
「ええ」
「だったらいいけど」
 そう言いながらも、真澄は厳しい表情で麗子を見つめていた。
「真澄……あんたはどうなの?」
「あたし?」
「そのお見合いの人と、うまくやって行けそうなの?」
「ええ」
「結婚したいと思ってるの?」
「まだそこまでは──」真澄は視線を外した。「向こうがどう
言うて来るか、分からへんもの」
「じゃあ、相手に結婚の意志があるなら、すぐに承諾しようと
思ってるの?」
「ええ、そうやね」
「本当?」
 今度は麗子が真澄の横顔をじっと見た。「じゃあもし先方が
断ってきたら? 悲しいと思う?」
「麗子──」真澄は振り返った。
「……それともほっとする?」
「何が言いたいの? あたしにカマ掛けてるつもりなん?」
「いえ、そんなつもりは──」
 真澄に迷惑そうにされて、麗子は一瞬怯(ひる)んだ。しかし
すぐに思い直したように顔を上げ、そして続けた。
「あたしからこんなことは言いづらいけど、あんた本当はまだ
勝也のことを──」
「やめてよ」
と真澄はきつく言った。「それを訊いてどうしようって言うの?」
「だって……」
「あたしがまだ勝ちゃんのことを好きなのかどうか、気になる
のはよう分かるわよ。でもあたしはあたしなりにちゃんと
割り切ったつもりよ。それでええのと違うの?」
「そうなんだけど、でもやっぱり──」
「それとも、あたしがもしまだ好きやってことを告白したら、
麗子は気分がいいわけ? あたしに勝ったみたいで」
「まさか、そんなこと」と麗子は大きく首を振った。
「でしょう。それやったらもう何も訊かんといて」
 そう言うと真澄は俯いた。
「……ごめんね」
 麗子は深く後悔した。自分の中に迷いがあるからと言って、
真澄にまた辛い思いをさせてしまうなんて、何て自分勝手
なんだろう。
 ところが──

「……大好きよ、今でも」
 真澄がぽつりと言った。
「えっ──」
「そんなに簡単に忘れられると思う?」
「……そうね」麗子は息苦しそうに頷いた。
「──三年前、麗子に引き合わせてもらって初めてあの人と
会ったとき、あたし、わくわくするようなときめきを感じたん。
自分の中にまったく新しい世界が広がったみたいで……
それからずっと、あの人のことだけ見てた。会えた日はもちろん、
そうでないときもずっと。自分の全部があの人で占領されて
いくのが分かったわ」
 麗子は何も言えずに真澄の話すのを聞いていた。
「……あの人の全部が好きやった。髪も、瞳も、声も、仕草も
全部よ。あの人、右手で前髪の生え際にある傷を触るの、
癖でしょう。子供の頃に家の窓ガラスにぶつけて七針も縫った
っていう傷。髪で隠れてほとんど見えへんから、頭が痒いのかと
誤解されてしまうって言うてはった。でも無意識のうちについ
やってしもてるんやって。あたしはそんな癖でさえも好きやったわ」
 真澄はぼんやりと膝元を見つめて言った。長い睫毛の間から、
愛おしむような眼差しが伺えた。
「そうやって、あの人のすることは全部受け入れて──言葉も
全部」
 真澄の瞳から大粒の涙がこぼれた。「イヴの夜、満員の
エレヴェーターでもみくちゃにされてるあたしの背中に腕を
回して、自分の方に抱き寄せてくれたときの感触がまだ
残ってる気がするの。その時の顔、あたしのことは見て
なかったけど、その横顔もまだ忘れてへんわ」
 麗子の目頭も熱くなった。真澄の気持ちが、痛いほど
よく分かったからだ。
「そんなに好きやったのよ。あっさり忘れられるはずがないや
ない?」
「ええ……」
「でも、あたしではあかんのよ」
 真澄はすがるような眼差しで麗子を見た。「あたしでは
重すぎるのよ。 あの人にはあたしが苦しいの。麗子、
あんたでないと勝ちゃんはあかんのよ」
「真澄……」
「麗子もそうなんでしょう?」
 麗子も黙って頷いた。
「それやったら迷うのはやめて。迷わんといたげて。あたしの
気持ちなんて考えたりするのもやめてほしいの。そんなこと
してたら、自分の気持ちとあの人の気持ち、両方踏みにじって
しまうことになるのよ」
「……そうね」
「あの人は絶対に麗子を悲しませるようなことはしはらへんから。
あたしには分かるの。あの人、自分では気がつかへんうちに、
あんたをずっと追いかけてたんやから」
 麗子は胸がいっぱいになった。そして今すぐ勝也に逢いたいと
思った。
「麗子の心に、まだ昔の人が残ってるって言うんなら、そのことを
責めるつもりはないわ。気持ちは分かるもの。でもそんなん
じゃなくて、あたしへの遠慮とかで迷ってるんやったら、あたし
すぐにでもお見合い断って、それでもう一度──」
「真澄、それは……」
「麗子はそうやっていつでもカッコ良く振る舞うつもりなんやろう
けど、あたしは違う。どんなにカッコ悪くても、ボロボロになって
でも、それでもいいからあの人に──」
「やめて──!」
 麗子は思わず言った。
「……忘れてないのよ、今でもまだ」
「分かってるわ。それでもお願い、やめて。諦めて」
 麗子はきつく目を閉じて言うと、やがて膝の上に手をついて
項垂れた。
  そして今度は弱々しい声で言った。
「……取らないで」
「麗子……」
「あたしも、勝也じゃないと駄目なのよ。今はっきり分かったわ」
 真澄は戸惑った表情で麗子を見つめていたが、そのうちふっと
微笑んだ。
「……取るなんて無理。取りたくても」
「ごめんなさい……」
「ええのよ」
 真澄は小さく溜め息を漏らした。

 
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Unforgeattable ② へ

 

 

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いつも楽しみ

毎日の更新が本当に楽しみです。不定期更新、不通知のまま連載を打ち切るネット小説家が多い中、安心して、でも続きをわくわくしながら訪問しています。これだけの大作をネットに載せるだけでも大変かと思います。読者として本当に感謝してます。
  • from :
  • 2007/04/27 (00:17) :
  • Edit :
  • Res

魚様

コメントありがとうございます。
こちらこそ大感謝、そして大感激です。
毎日カウンターの数字は少しずつあるものの、果たしてその中のどれだけの方に
喜んで頂いているのかが分からない中、
魚様のコメントは本当に嬉しいです。やってて良かったなと心から思います。
引き続きご愛顧頂けるよう、これからも頑張って更新していきますので、
どうか宜しくお願いします。
本当にありがとうございました。
  • from みはる :
  • 2007/10/13 (12:45)

まどろっこしいということ

真澄嬢のさっぱりした性格、いいですねえ。豊氏の、「まどろっこしいんだよ、おまえら」というのは正論。善男善女すぎるカップルはそうはいいない。それにしても真澄嬢のお見合いの相手が気になりますねえ。2代目ということで豊氏ではないかとちょっと疑いました。よく考えれば豊氏は継がないし経営を任せられていないから違いましたよね。
  • from 狼皮のスイーツマン :
  • URL :
  • 2009/10/18 (00:28) :
  • Edit :
  • Res

狼皮のスイーツマン様

ハイ、豊は二代目ではありません。普通の銀行員です。
もしかしたら、芹沢とどこか混同されましたか?
彼は酒屋の四代目です。もちろん経営には携わっていなくて、
彼も普通のお巡りさんですけど^^

真澄は意外にも・・と言うと彼女に怒られそうですが、
結構評価の高いキャラクターです。
私自身はちょっと苦手なんですけど^^;
  • from みはる :
  • 2009/10/18 (01:40)

混乱回復

間が空いたのではじめから読み返しました。そうですね、混乱してました。(笑)
  • from 狼皮のスイーツマン :
  • URL :
  • 2009/10/25 (05:54) :
  • Edit :
  • Res

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好きな役者 
ブラピ 
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