忍者ブログ

およそ【文学】とは言い難いけれど。

みなさまのコーヒーブレイクのおともにでもなれば・・・。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

~ 第五章  4(後) ~


 一時間後、二人は加納美咲がピアノを弾く例のバーの
テーブル席に座っていた。
 萩原がこのバーを選んだのは、五日前に自分が一夜を共にした
女性の目の前で智子と会えば、彼女に対する未練がましい
気持ちが冷めるだろうと考えたからだった。
 美咲と顔を合わせるのもあのとき以来初めてだったし、自分は
きっと彼女のことも気になるに違いないと彼は思ったのだ。
ただ一つ心配だったのは、美咲が何らかの手段を使って智子に
自分との関係を喋ってしまうかも知れないということだった。
そうなったら智子は俺のことをどう思うだろう。そういう関係のある
女性の前に自分を連れてきた俺を軽蔑するかも知れない。
でも待てよ。そうなったらそれでもええやないか。そうしたら、
智子も二度と俺に会いたいなんて言い出すことはないやろう──。

 しかし、加納美咲はまったく意に介してないようだった。というより
むしろ、萩原が自分の前に女性を連れてきたことを歓迎している
ようだった。時折ピアノ越しに彼と目が合うと、その視線を自分に
背を向けて座っている智子に移してにっこりと微笑んだ。
きっと彼が、あの夜彼女の言っていた「本当の愛」というものを
見つけて、その相手を自分に披露しに来たとでも思っているの
だろう。それが証拠に、彼と智子が店に入ってきて以来、
美咲は恋人たちを祝福する内容のラヴ・ソングばかりを
弾いていた。
「──素敵なお店ね」
 智子は囁くように言った。「あなたの好きそうなお店」
 彼女は自分の前に琥珀色のカクテルを置き、背筋を伸ばして
静かに座っていた。V字型に広く襟の開いた真っ白のワンピースを
着て、耳からはゴールドのイヤリングを下げている。短くカットされた
栗色の髪がかえって女らしく、白い肌によく似合っていた。
「智子」
 萩原はぼんやりと智子を眺めながら言った。彼女は顔を上げ、
優しい微笑みを浮かべて彼を見た。
「俺は変わったかな」
「変わったって?」
「そんな気がする」
「誰かにそう言われたの?」
「そうやないけど」
 萩原は顔を上げ、言葉を探しているような表情をした。 「何か……
とてつもなく小さい人間になってしもたみたいな、そんな気がして」
「そうは思いたくないけど」と彼女はグラスに視線を落とした。
「自分でもときどきそう思うんや。こんな人当たりが良かったかなとか、
いつの間にこんなに気配りが行き届くようになったんやろとか。
それはそれでええことなんやろうけど、何か──個性がなくなって
しもたというか……」
 萩原はグラスの氷を鳴らした。
「確かに、前の萩原くんはもっと研ぎ澄まされて、それでいて
荒削りなところがあったように思うわ」智子は言った。「いい意味で、
どこかとても危険やった。不用心で無神経な人間が触るとたちまち
傷つけられてしまう、よく研がれた鋭い刃物みたいで」
「大人になったんかな」と萩原は笑った。
「だとしたら、成長なんてつまらへんもんやね」
 そう言って智子も微笑んだ。
 萩原はじっと智子を見つめていた。そして、今から自分が言おうと
している言葉を彼女がどういう意味に取ろうと構わないという
決心がつくまで、何も言わずにいた。彼女は彼の気持ちを
何とか読み取ろうとしているらしく、大きな瞳を一杯に開いて
少し身を乗り出し、彼の顔を覗き込んだ。
 やがて彼は言った。
「戻りたいと思うよ、二年前に」
 智子は俯いた。細い指をカクテル・グラスの脚に絡ませ、褐色の
液の底に静かに沈むチェリーの実をじっと見つめている。そして
小さく息を漏らすと、ゆっくりと顔を上げて萩原を見た。
「あたしもよ」
 萩原は小さく頷いた。テーブルの端に置かれた細長いグラスに
丸めて入っていた伝票を取ると、もう一度智子を見つめ、言った。
「行こう」
 二人は立ち上がり、店のドアへと向かった。キャッシュカウンターで
チェックを済ませた萩原がちらりとグランドピアノに振り返ると、
美咲がこちらを見て静かに笑っていた。
 彼は何も言わずに向き直り、智子の背中にそっと手を添えて
出て行った。
 

 梅田の摩天楼を間近に見るホテルの部屋で、二人は黙って
自分たちの足下を見つめていた。
 部屋の照明は暗く落とされ、その分窓ガラスを通して部屋一杯に
広がった夜景を美しく浮かび上がらせていた。
 いつの間にかまた雨が降り、ビルのシルエットが揺れながら空を
昇っていくようだった。
 萩原は窓際に設置されたエアコンに腰掛け、ジーンズの上から
ふくらはぎに当たる、穏やかだが冷たい風を感じていた。一方の
智子は壁に取り付けられた品の良いドレッサーの前に座り、
まだ膝の上に置いたままのバッグの紐を両手で握っていた。
二人とも、病院の廊下で身内の容態を気遣う家族のように神妙な
顔をしていた。

「──今なら、まだ間に合う」
 エアコンの上に灰皿を置き、左手に持った煙草から一筋の煙を
くゆらせながら萩原はぽつりと言った。
「ええ、そうね」
 智子は鏡に映った萩原の姿を見て、頼りなく頷いた。
「一緒に酒を飲んだだけやから」
「同級生やもの、それくらいのことはあるもんね」
「そこでやめとくべきなんやろうな」
「それは分かりきってるわ」
 と智子は振り返った。そしてすがるような眼差しで 彼を見ると、
小さく首を振って消え入りそうな声で言った。
「でも、今はどうしても気持ちを抑えることができひんの」
「俺もや」
 萩原は煙草を消し、彼女を見つめた。「ええんやな?」
 智子は肯定も否定もせず、ただ黙って彼の顔を見ていた。
 彼は立ち上がって彼女のそばへ行った。そして椅子に腰掛けて
自分を見上げている彼女の手を取ると、その腕にもう一方の手を
添えて彼女を立ち上がらせた。
 感極まった彼女の瞳は柔らかく輝き、黒目が涙の中で泳いでいた。
 彼はゆっくりと彼女を抱き寄せた。胸の中に彼女を包み込むと、
その小さな肩に両腕を回し、それから背中へと下ろしていった。
彼女も彼の背中に手を伸ばし、しっかりと抱え込んだ。
「──何で、今になって……」
 彼は辛そうに言った。「……なあ、何でや?」
「分からへんわ」と彼女は呟いた。「たぶん、こういう思いはずっと
あったのよ。ただ、別れてすぐはあなたへの恨みや憎しみの方が
ずっと強くて、こんな気持ちは自分にも分からへんどこかに
隠してたんやと思う」
 萩原が智子を自分の胸から離すと、二人は一瞬見つめ合い、
その想いのすべてを溢れさせるように唇を重ねた。
 越えまいと思って必死でこらえていた一線を、二人はとうとう
越えてしまったのだ。そこからはもう、一気に駆け下りて行くしか
なかった。
「……自分でも、こんなに罪深いと思ったことはないよ」
 智子から顔を離した萩原は、諦めたように言った。
「結局、いつもあなたをこうして追い込んでるのはあたしなんやわ」
 二人はもう一度キスをした。やがて萩原は智子の背中に手を回して
ファスナーを下ろし、そこからゆっくりと指を滑り込ませた。彼女の
白い肌が露わになると、ワンピースは衣擦れの音を立てて足下に
落ちた。二人はそのままベッドに倒れ込んだ。

 お互い、知り尽くした相手だった。それなのに二人は初めて
こうなったときのことを思い出していた。
 つき合いはじめて三ヶ月が過ぎた一回生の十二月、二人は別の
友達四人と信州へスキーに行った。雪焼けの顔が少し恥ずかしく
なり始めた三日目の夜、二人は初めて同じベッドで寝たのだった。
 それから離婚までのあいだ、二人は何度となく肌を合わせた。
しかし今夜ほど、初めてのあのときと同じくらいの気持ちの昂ぶりを
覚えたことはなかった。それほど今夜の二人は、相手への
溢れんばかりの想いと、禁じられた行為へのずっしりと重い不安が、
極限のところまで達していたのだった。
「豊……」
 いつの間にか、智子は彼を昔の呼び方で呼んでいた。 
 

 ホテルを出ると、萩原は智子をタクシーに乗せて神戸へと向かった。
 途中、二人は何も話さなかった。何か言うと今夜のことが
すべて淫らで薄汚れたものになってしまいそうで、二人には
それが恐ろしく嫌だったからだ。人に言わせれば悪質で不道徳
極まりない不倫ではあっても、せめて二人の間ではそう思わずに
いたいと思った。勝手な言い方だが、純粋で自然な成り行きだと
思いたかったのだ。 
 ただしそう考えるには、こんなことは今夜限りにしなければ
ならないということも、二人には十分すぎるほど分かっていた。

 タクシーが智子の新しい家庭のあるマンションの近くまで来た。
 萩原は運転手にしばらく待つように頼み、智子と一緒に車を
降りた。
 萩原は戸惑いがちに言った。
「じゃあ──」
「ありがとう」智子は静かに答えた。
「ご主人から連絡が入ってるようなことは……?」
「ないと思うわ。あの人、花の買い付けに行くと、そっちに気を
取られて電話どころやなくなるの」
「花の買い付け?」
 萩原の心臓が大きく脈打った。「──それで、どこへ……?」
「富山よ。昔、長野で仕事をしてた時から懇意にしてもらってる
取引先があるの」
 後ろから思い切り頭を殴られたようなショックだった。よりによって
榊原が、前の家族を亡くしたときと同じ富山へ行っていたとは。
しかも、同じ用件で。
「……これっきりにしような」
 彼にはそう言うのがやっとだった。
 ゆっくりと歩き出した智子は、すぐに萩原に振り返って言った。
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
 ぼんやりと前を見たまま、萩原はうわの空で答えた。
 両手で顔を拭うと、彼はそのまま項垂れた。
 やっぱり、悪質で不道徳な不倫をしたのだった。
「……なんてヤツや」
 彼は吐き捨てた。





目次 へ
第五章 5(前) へ




ランキングに参加しています。お気に召しましたら、クリックお願いします。

↓↓↓↓↓

にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説 投票

人気blogランキング 投票 

カテゴリ別小説ランキング 投票

人気ブログランキング!ブログ王 投票  


 

拍手[0回]

PR

この記事へのコメント

Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
管理人のみ閲覧できます
 

この記事へのトラックバック

トラックバックURL

カレンダー

04 2018/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カウンター

ビジター

最新コメント

[05/19 スイーツマン]
[05/17 スイーツマン]
[05/17 スイーツマン]
[06/24 奄美 剣星  (旧称/狼皮のスイーツマン)]
[05/02 maki]
[10/11 かなる]
[08/18 狼皮のスイーツマン]

お知らせ

日々の暮らしに追われ、長期に渡り記事の更新が滞っている状態です。申し訳ありません。



「佳日の紫丁香花 (ライラック) 〜For Your Splended Wedding〜」完結しました。

★Web拍手ボタンを各記事の下部に設定し直しました。ホメてやろう!という方はクリックお願いします。

縦書きでも読めます




Amazonでましゃ

rakuten

プロフィール

HN:
みはる
性別:
女性
趣味:
映画、読書、福山雅治
自己紹介:
好きな作家 
Ed McBain
Pete Hamill
宮部みゆき 
高村薫 
東野圭吾

好きな役者 
ブラピ 
佐藤浩市

好きなオトコ
福山雅治
        

Nicotto Town

バーコード

Copyright ©  -- およそ【文学】とは言い難いけれど。 --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]