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およそ【文学】とは言い難いけれど。

みなさまのコーヒーブレイクのおともにでもなれば・・・。

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~ 第五章  4(前) ~


      4
 
 この日、萩原は久しぶりに仕事絡みの用事のない土曜日を
過ごしていた。
 銀行が週休二日制だと言っても、彼のような入行五、六年目の
行員にとっては、連休は毎度約束されているものでもなかった。
彼くらいの年齢になると、仕事は一通りそつなくこなせるし、
会社組織にもある程度順応できている。しかも、彼は独身だった。
休日出勤を断ってサービスしなければならない家族もなければ、
少ない小遣いに苦しんでいるわけでもない。つまり、上司にとっては
休みに駆り出すにはもっとも都合の良い部下だったのだ。
 そういうわけで彼は、土曜と言えば出勤しているかゴルフに
連れ出されているかのどちらかで、自宅でゆっくり本を読む暇も
なかった。しかしそんなことがここ三週間ほど続き、さすがに
上司の方が疲れたのだろう。彼は自分の職場が週休二日で
あることを忘れてしまわないうちに、どうやら連休を取ることが
出来たのだった。
 彼は智子との離婚後、それまで暮らしていた大阪市内の賃貸
マンションを引き払い、西宮市の実家へ戻ってきた。美雪の養育費と
車のローンを含むクレジットの支払いで月に十万円以上は消える
ため、家賃まで払って独り暮らしを続けることができなくなったからだ。
実家は八十坪を越える広さの敷地に建つ一軒家で、
三年前に兄が結婚して独立してからは両親だけになっており、
彼が戻ってきても十分余裕があった。大手製紙会社の役員を
している父親は年中会議ばかりで出張も多く、時には母親を
同伴して国際会議にも出席していた。だから彼はいたって自由な
生活を送っており、時折彼の将来を心配した母親が再婚話を
持ち掛けてくること以外、彼はここにいて何ら不愉快な思いは
していなかった。

 今日も両親は製紙業界の環境会議に出席するため、東京へ
行って留守だった。父親の会社が会議のホスト役で、海外からも
何人かの専門家を迎えているらしく、五十八歳という年齢にしては
めずらしく英語の分かる母親が会議以外の場面での夫の通訳として
一緒について行ったのだった。
 だから彼は月曜までこの家で一人だった。今日は昼近くに起き、
アメリカにいた頃に習得したフレンチ・トーストを作ってコーヒーを
入れた。午後は暑い中を二時間掛かって車を洗い、それが済むと
早めの風呂に入って外に食事に出掛けた。

 そして今、彼は自分の部屋のソファに寝そべり、借りてきた映画の
DVDを観ながら缶ビールを飲んでいた。
 時計の針は八時前を指していたが、起きたのが遅かったので、
まだそんな時間だとは思えなかった。

 テーブルの携帯電話が鳴った。覚えのない着信番号が表示されて
いたが、萩原は特別慌てもせず、ゆっくりと起き上がって電話に
手を伸ばした。
「もしもし」
 彼は事務的とも言える無感情な声で応答に出た。
《萩原くん?》
──智子だった。
 一瞬、彼は言葉に詰まった。智子からは一昨日電話があった
ばかりなので、まさかまた掛かってくるとは思ってもいなかったのだ。
「……きみか」
 彼は溜め息混じりで言った。
《あっ、ごめんなさい》智子ははっとしたような声を出した。《お邪魔
やったのね》
「いや、そうやないけど」
《……ごめんね、たびたび》
「ご主人は?」
《昨日同窓会から帰ってきて、また今日から仕事で出掛けてるの。
明日の夕方帰ってくるわ》
「そうか」
 気が引けるようなほっとしたような、複雑な気分になった。缶ビールを
口に含み、喉を潤してから気を取り直して言った。
「美雪は?」
《実家。幼稚園が休みやったんやけど、主人がいなくて私がずっと
店に出て相手してやれへんから預かってもらったの。ちょうど店も
忙しくって、バイトの子に無理言うて残業もしてもらったし、さっきまで
その子に夕食をごちそうしてたの。それが済んで美雪を迎えに行こうと
思ったら、母がたまには一人でのんびりしたらって言うてくれて。
それで今、久しぶりに大阪に来てるの》
 智子はいつになく饒舌に話した。
「お義母さん、元気か?」
《ええ、相変わらずよ》と智子は笑った。《萩原くんのこと、お気に入り
やったもんね》
「つき合いはじめたときから、お義母さんは俺の味方してくれてたからな」
《今でも萩原くんのことは悪く言わへんわ》
 彼は俯き、離婚の時のことを思い出した。智子の父親は彼の勝手な
別れ話に激怒し、何度も二人のマンションに乗り込んできた。
 そんな夫を必死でなだめ、結局最後に諦めさせたのは彼女の母親
だったのだ。母親はそのときも娘婿にに対してひとことの文句も
言わなかった。娘と孫を不幸にした男に、自分だっていろいろと
言いたいことがあったにはずなのに。
 彼は今でもそんな智子の母親に感謝し、またし訳ない気持ちで
一杯だった。
「──智子」
《何?》
「お義母さんに、早く俺のことは忘れてくださいって言うといてくれ」
《萩原くん……母は別にあなたに未練があるってわけじゃ──》
「分かってるよ。でも、それでも忘れてもらいたいんや」
《どうして?》
「そうでないと、榊原さんやお義父さんが気分悪いやろう? 
それでなくても美雪が相変わらずの調子やのに」
 彼はソファに身体を預けた。「俺は、美雪が俺のことをまだ慕って
くれるだけでも十分やと思てるんや」
 智子は何も言わなかった。気を悪くしたのか困っているのか、
今となっては彼には推し量ることもできなかった。
 昔なら、顔が見えなくても彼女が電話の向こうでどんな気持ちで
いるのか、手に取るように分かったのに。
《──美雪が、羨ましいわ》
 ようやく智子がぽつりと言った。
「えっ?」
《あなたへの気持ちが素直に出せて》
「智子……」
《あたしかて、時にはあなたが懐かしく──ううん、恋しくなることも
あるのよ》
「何言うてるんや」と萩原は乾いた笑い声を出した。
《現にこうして、主人や子供から解放されたら、真っ先に萩原くんの
顔が浮かんで……それで電話を──》
「智子、やめろって」
 萩原は智子の言葉を遮った。明らかに困惑していた。
 それを無視するかのように、やがて智子は言った。
《──逢いたいわ、萩原くん》
 そう言われた瞬間、萩原は目を閉じて大きく溜め息をついた。
今夜、電話が掛かってきた時点から、彼には何となくこうなる予感が
していたのだ。
「なあ、智子」
 彼は精一杯落ち着きを保って言った。「ご主人とうまいこと行って
へんのか? それで俺に──」
《そうやないの。主人とは何の関係もないわ》
「それやったら何で──」
《やっぱり、迷惑やったね》
「俺のことはどうでもええんや。問題なのはきみの方やろ? 
そうやって新しい家庭を築いたばっかりやていうのに、俺なんかに
会うたって何の意味もないやないか」
《そう言うけど》と智子は反論した。《あたし、自分からあなたを嫌いに
なって別れたわけやないのよ》
「それは分かってるよ、俺の勝手やったって」
《だったら、どうして美雪が今でもあなたのことを慕ってるのが許されて、
あたしには許されへんの?》
 彼は辛そうに顔をしかめて俯き、搾り出すように言った。
「……きみは再婚したやないか」
《──それでも、ときどき思い出すのよ》
 智子も哀しそうな声で言った。 《だって、あなたが完全にあたしの
前からいなくなったんと違うもの》

 彼はここで自分がどうするべきなのか分かっていたし、反面、どう
したいと思っているのかも分かっていた。
 彼は必死で今の二人の立場を自分の胸に言い聞かせた。しかし、
その一方で智子の気持ちが痛切に感じられ、そして自分の中の
思いが抑えきれなくなりつつあるのを確認していた。
「──分かったよ」
 彼はようやく口を開いた。「今、どこから掛けてる?」
《マルビルのコーヒーラウンジ。二階の》
「一時間で行くよ」
 そう言って電話を切った。
 彼は自分のなすべき方ではなく、したい方を選んだのだった。 



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第五章 4(後) へ 




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こんばんは

元奥さんって、ひどく残酷ですねえ。あらゆるものを取り上げられ再婚しているのにも関わらず養育費まで巻き上げておきながら自分にひきとめようとする。

萩原氏のご母堂様のおっしゃるように再婚したほうが難儀がなさそう。知らんぷりするのも愛情なのだけれど、娘さんがるとそうもできない……。

今の亭主もじめついたところをうねる隠棲生物だけれど、よくも似たような夫婦になっている。娘さんも気の毒に、環境が悪すぎ。

合掌。
  • from 狼皮のスイーツマン :
  • URL :
  • 2011/08/18 (20:09) :
  • Edit :
  • Res

狼皮のスイーツマン様

いつもありがとうございます。

そういえば智子さんは、女の卑怯なところ、残酷なところ、
したたかなところ、そして哀しいところを全部背負って頂いてますね。

他の女性たちが逞しすぎるからでしょうか?^^

萩原もまた、どうしようもない自己憐憫。
早く立ち直ってもらいたいものです。

訪問ありがとうございました。

  • from みはる :
  • 2011/08/19 (22:49)

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