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およそ【文学】とは言い難いけれど。

みなさまのコーヒーブレイクのおともにでもなれば・・・。

~ 第二章  2 ~



         2

 助手席に秋田係長を乗せて運転をしながら、鍋島は今頃会議室で
事の顛末を知らされているであろう芹沢の様子を思い浮かべていた。
 きっと頭に血をのぼらせて、植田課長か高野係長あたりに理不尽な
怒りの矛先を向けているに違いない。やっぱり、あいつが来るまで待つと
言うべきやったかな。それとも、階段で出くわしたときに一緒に連れて
来れば良かったかも……。

「けど……まだ信じられへんわ」
 秋田係長は独り言のように呟き、首を振った。
 彼女はごく最近西天満署に赴任してきたばかりの新米係長だった。
 西天満署の管内でも、ここ数年、少女による犯罪や、逆に少女が
被害者になる事件が増える一方で、それら少女の関係する事案に
対応すべく、遅ればせながらこのほど少年課に特別チームが編成された。
捜査員四名は全員女性で、秋田係長はその初代班長である。
 一見したところ、西天満署史上においては少しは華々しいはずの
その存在に相応しくないフツーのオバサンで、階級は警部補、四十一歳という
年齢から察するところもちろんキャリアではない。彼女自身も十三歳になる
娘を持ち、夫は府警本部銃器対策課の警部らしい。

「──誰かて、警官やってたらこういうこともあるかも知れへんっていうの、
どこかで覚悟してなあかんもんなんかも知れへんけど……少年課の
刑事でしょ。難しいし、深刻ではあるけれど、子供が相手の仕事やのに。
どこでどういう恨みを買うてそんなにまでひどくやられたんやろ」
「恨みを買うような人とは違いますよ、杉原さんは」
 鍋島は思わずムキになって言った。赴任して間もない秋田が杉原の
人となりをまだよく知らないからそういう発言が出るのは仕方のないことだし、
大目に見るべきなのだが、鍋島には聞き流すことができなかった。
それはもちろん、決して杉原が半殺しの目に遭わなければならないほど
誰かの心に遺恨を残すような程度の低い刑事ではないと断言できたから
だが、それとは別に、人間不信の塊のような芹沢が杉原に対しては
全幅の信頼を置いているという事実が、鍋島の意識にも波及している
からだった。
「もちろん分かっています。けどね、まったくの逆恨みってこともある。
こちらが相手のことを心底考えて、良かれと思って接していた態度や
行動が、向こうには正反対の効果を与えていたりすることも、時々あるのよ。
そしてそれは、残念やけどこちらにはどうすることもでけへんわ」
「──そうですね」
 鍋島は納得していなかったが、秋田に拗ねた子供を諭すような穏やかな
口調で言われると、分かりましたと言うしかないように思えた。どこにでも
いるフツーのオバサンに見える秋田が、満を持して誕生した新プロジェクトの
初代責任者に任命された理由は、あながちこんなところにあるのかも
知れない。
 そして、彼のそんな気持ちが分かっているらしく、秋田は静かに続けた。

「だってね、鍋島くん。杉原巡査部長は救急車に乗せられるとき、あなたの
ところの湊巡査部長に『これは警官襲撃やない。事件にせんといてくれ』と
言うたらしいわ。そのときだけははっきりとした口調で、血走った眼をちゃんと
開けて湊さんの顔を凝視して」
「ほんまですか」
 鍋島は秋田に振り返った。秋田は強く頷いた。
「やられた相手をかばってるってことですか」
「どうかしら。あなたが来る前の会議では、あそこまで酷い仕打ちを受けた
相手のことを杉原さんがかばうとは考えにくいという意見の方が強かったわ。
でも少なくとも、相手のことを知ってるのは確かなようね」
「かばう気がないのに、何で杉原さんはそんなこと言うたんですか」
「そう思うでしょう。それで、別の考え方もできるって声が上がったわ。彼が
言いたかったのは、警官襲撃事件としての扱いをしないでくれ、という
意味じゃないかということよ」
 鍋島は少しだけ考えて、すぐにその意味が理解できた。そしてこれで、
呼び出しが掛からなかったわけと、署内があくまで普段通りの動いている
理由が分かった。
 いたずらに騒ぎ立てて府警本部やマスコミに感づかれるのを避けようと
しているのだ。
「──本部事件とはしないで欲しいということですね」
 秋田は頷いた。「会議では、そのように解釈しようということになったの」

 警官襲撃事件となると、警察は他のどんな事件よりも最重要扱いする。
身内が被害者であることの純粋な怒りが沸くし、警官を攻撃することは
警察権力に対する挑戦だととらえるからだ。
 また、そう言う刺激的な事件は報道機関が大々的に取り上げるから、
世間の注目を集めやすい。その一方で、治安を守ってくれるはずの警官が
被害者になるというショッキングな事実が一般市民の不安を募らせ、検挙が
遅れるほど信用も失うという、他の事件にはない悪影響をも引き起こすのだ。
 従っておのずと、捜査一課を中心に大量の捜査員が動員される
特別捜査本部事件扱いとなり、はっきり言って所轄の人間は出る幕が
なくなってしまう。

 杉原はそれを望まなかった、ということらしい。

 しかし、それは幹部連中の勝手な解釈ではないのだろうか。
 本部に口を出されたくないから自分たちの都合のいいように処理
しようとしているのではないか。鍋島はちょっと疑いを持った。
「でも、何でですか」
「杉原さんがそう言うた理由? それはまだ分からへん。でも、分からへん
うちは杉原さんの希望通りにしようということになったの。真相は
彼の意識が戻ったらはっきりするやろうし、戻るまでは我々の方でも
その理由を探す。もちろん、犯人も挙げる。それが第一よ」
 そこまで言うと秋田は少し苦笑いを浮かべた。「その過程で、場合に
よっては本部事件になるかも知れないって、署長はつけ加えてたけどね」
 そりゃそうだろう、と鍋島は思った。何と言っても警察は縦社会だ。
上層部(うえ)の指示を仰がずに事が最後まで運ぶとは考えにくい。
 たとえ無事に事件が解決したとしても、報告を上げない要注意部署と
いうことで目をつけられるだろうし、事態が悪くなってから本部の
知るところとなろうものなら、それはもう、署長以下全幹部たちの
責任問題は必至だ。場合によっては西天満署だけの問題にとどまらず、
警察全体の威信にまで影響が及ぶことだってありうる。うちの署長が
そのあたりのことを考えないはずはない。

「──それはそうと、鍋島くん。前から訊こうと思ってたんやけど、あなたの
お父様って、確か──」
「ええ」そら来た、と鍋島は思った。「三年前に退官しました。長堀署長の
時に」
「やっぱり」と秋田は少しだけ顔をほころばせた。「赴任してきた頃、
あなたの名前を聞いてひょっとしたらと思てたの」
「──父とはどこかで?」
「いえ、私じゃなくて主人がね。お父様とは捜査二課で一年ほどご一緒
させてもらったことがあるのよ。お世話になったわ」
「そうですか」
 府警に入ってからの五年半、鍋島は何度もこういった話を聞かされて
きた。   
 そしてそのたびに愛想良く振る舞い、相手に対して従順な態度を
取ることを強いられてきた。
 息子にしてみれば、家庭人としては最低だとしか思えなかった父の姿が
幼い頃から目に焼きついて消えず、そのせいで父に対してはひとかけらの
畏敬の思いなど抱いていない彼だったが、そんな気持ちはこの組織の
中では相手にされないと分かっていた。だから、彼に父親の話をしてくる
相手には、一貫して親の跡を継いだ素直な息子、礼儀正しいジュニアを
通してきたのだ。
 そして、早い出世が親の七光りだと陰口を叩かれても、それに対して
何の反論も口にしなかった。父親のような警官にだけはならないと固く
心に誓って府警に入った以上、父親のことは無視しようと決めたからだ。
 まだ幼かった自分と妹から病気という手段にかえて母親を奪い、
仕事というより趣味で犯罪者の検挙に情熱を傾けていたとしか思えない
父親とは別人格でいたかったし、誰に対するでもなくそれを強調したかった
のだ。


 車は国道を逸れ、林立する高層マンションへと続く脇道を入って行った。
 杉原巡査部長の自宅もその一つにあり、鍋島はスピードを落として
その一つ一つの棟番号を確認しながら進んだ。

 ドアを開けた瞬間、杉原の妻は何かが起こったのだと覚悟したように
見えた。
「早朝から失礼します。杉原さんの奥様ですね?」と秋田が言った。
「ええ、そうですけど……あの、どちらさまですか」
 彼女の瞳は不安と困惑で一杯になり、突然現れた二人組が名乗るのを
待っている。長い髪をきちんと後ろで束ね、幅広くカットした丸襟の胸元に
リボンがついた千鳥格子のワンピースを着ていた。歳は三十前後といった
ところの、小柄な美人だった。
「申し遅れました。西天満署少年課の秋田と申します。先程来ずっと
お電話を差し上げていたのですが、あいにく繋がりませんでしたので
こうしてお伺いしました。それからこちらは──」
 ただ同僚を紹介するだけなのに、秋田はその先を続ける勇気がないと
でも言うように頼りない表情で鍋島に振り返ったので、鍋島は俯いて
目を伏せ、すぐに小さな溜め息とともに顔を上げて言った。
「刑事課の鍋島です」
「刑事課の方──」
 そう言った瞬間、彼女の瞳は大きく開き、秋田と鍋島に代わる代わる
視線を移しながら、まるでうわごとのように言った。
「……あの人が何かしたんですね
 秋田は鍋島と視線を交わし、すぐに逸らした。結局全部こっちに
言わせるつもりだな、と鍋島は秋田のここ一番の頼りなさを恨めしく
思いながら、杉原刑事の妻に言った。
「──杉原巡査部長は昨夜から未明に掛けて何らかの事件もしくは
事故に遭遇したらしく、今朝六時頃、重傷を負った状態で署の近くで
倒れているところを発見されました。今は病院で手当を受けていますが、
その……意識が無くて危険な状態だそうです」
 杉原刑事の妻は口もとに手をやった。
「何があったのかは今のところ分かっていません。僕と秋田係長は
奥さんを病院までお連れするために伺ったんです」
「すぐに支度なさって下さい。私たちはここで待っていますから」
 秋田が申し訳程度につけ加えた。
「それから──大変申し上げにくいことですが、知らせておきたい
お身内の方などがおられるなら、今の間に連絡しておかれた方が
いいかと思います」
 杉原刑事の妻は鍋島が話すのをじっと聞いていたが、突然小さな
嗚咽を一つ漏らすと、ゆっくりと首を振り始めた。

 唇の震えが肩に伝わり、指先、膝へと移っていくさまは、まるで絶望と
恐怖がものすごい早さで全身を駆けめぐっていくのを見ているようだった。
その勢いに身体を支えきれなくなったのか、やがて彼女はふらりと
一歩よろめいてドアに手をついた。
 今にもその場に崩れてしまいそうで、秋田が思わず彼女の肩を支えた
ほどだ。そして秋田は鍋島に振り返って、咎めるように囁いた。
「鍋島くん。何も今そんなことまで──」
「あとで後悔するよりましでしょう」
 鍋島も小声で答え、杉原の妻を見た。「お急ぎになって下さい」
 秋田が眉をひそめて鍋島を凝視していた。


 支度を整えた杉原奈津代(すぎはらなつよ)を乗せて病院に向かう途中、
鍋島は後部座席で秋田に抱えられるようにして座っている彼女に訊いた。
「奥さん、昨日杉原刑事は非番のようでしたが、どこかに出掛けられたん
ですね」
「ええ」
「何時頃お宅を出られましたか」
「朝のうちです。非番ではありましたが、仕事で何か用事があるのだと
思いましたから」
「ということは、具体的な用件や行き先を告げて出掛けられた
わけではないんですね」
「……何も聞いていません。でも戻ってこなかったので、てっきりそのまま
署に泊まったのかと……」
「途中、何の連絡もなかったわけですか」
 奈津代は鼻をすすりながら首を振った。「もともと、こまめに連絡を
入れてくるような人ではないんです。仕事で遅くなるときも、非番に用事で
出掛けるときも」
「普段からよく一人で出掛ける方なんですか」
「ええ。でもそれでは困るって、仕事が仕事なんやから、もしも何かあった
とき──それは、つまり……急に呼び出されるようなことがあった場合の
ことなんですけど──そんなときに所在をはっきりしておいて欲しいって、
何度も言うてたんです。そしたら、最近やっと携帯電話を持つように
なったらしくて、仕事のときはそれがあるから連絡が取れなくなるような
ことはないんやって、そう言うてました」
「仕事のときはというのは?」
「主人は携帯が嫌いで……でもこれだけ普及すると、どうしても持たない
わけには行かなくなったようでした。それでもまだ馴れないせいで、
つい職場に置きっぱなしにして帰って来るんです。自分で番号すらまだ
覚えてないらしくて。ですからまだ私も教えてもらっていないんです」
「係長、けさ杉原さんは携帯を持ってましたか」
 秋田はルームミラーの鍋島に首を振った。「ロッカーにも、デスクにも
なかったそうよ」
「どういう用件で出掛けられるか、それもおっしゃらないんですか」
「ええ。でもたいていは仕事で関わったことのある子供たちの様子を
見に行ってたようです。事件を起こした子供だけやなくて、被害に遭うた
子供とか。そのどっちでもないけれどもあの人なりに気になる子がいたら、
その子に会いに行ってちょっと話をしてみたり」
「そういう大人がいてくれると、子供は救われるわ」
 秋田がしみじみと言った。
「そういう子供たちの中で、杉原さんを良く思ってない子がいたのかも」
「鍋島くん」と秋田は露骨に嫌な顔をした。
「──すいません」
 被害者の家族の前で言うことではなかった。分かっているはずなのに、
つい口をついて出ていた。身内の気安さがあったのかも否めないが、
被害者が身内だからこそ、そんな目に遭わせたやつが許せなかったのだ。
 だから本当はこうして被害者の家族を病院に送っていくことなんかよりも、
地取りでも識鑑でも、あるいは資料を調べることでも、何でもいいから
容疑者を追いかけたかった。
 焦ってしまっていた。
「──私も、ほんまのこと言うと、あの人の身に何かあったときのことを
心配してたんです。でもそんなことが現実に起こったらと思うと、怖くて
口にできなくて──それで──」
 その先は言葉にならなかった。杉原奈津代はしぼり出すように
うめいたかと思うと、堰を切ったように激しく泣き出した。

 秋田が彼女の背中をさすり、自分も顔を歪めている様子がルームミラーに
映っている。奈津代の気持ちが痛いほど分かるのだろう。彼女の夫も
警察官だから。

 鍋島はいたたまれなくなって車を舗道脇に寄せて停めた。
 もちろん、自分の不用意なひとことが彼女を不安の淵に突き落として
しまったことに対して猛反省していたからだが、本能的にというか何というか、
女性に泣かれるのが苦手だった。女の涙を見ると、遠い日のある一日
蘇ってきそうで、それを押さえることに意識を取られてしまい、何もできなく
なるのだ。たかが車の運転ですら駄目だった。
 やがて奈津代はハンカチで鼻をすすると、小さな声で言った。
「ごめんなさい」
「……俺の方こそ、申し訳ありません」
 鍋島は完全に意気消沈していた。


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