忍者ブログ

およそ【文学】とは言い難いけれど。

みなさまのコーヒーブレイクのおともにでもなれば・・・。

~ 第三章  4 ~

         4

 午後になって、鍋島は一人で杉原信一が収容されている
病院を訪れた。事件発生当日の朝に杉原の妻を伴って来て
以来の訪問だった。
 杉原の容態に変化はないのは毎日の課長からの報告で
知っていたし、わざわざ行ったところで杉原自身とは話せる
わけでもなく、したがって何らかの事実が判明することなどは
期待できなかったのだが、それでも鍋島は病院に行くことにした。
一度、ちゃんと杉原を見舞いたいと思ったのだ。こんな風に
思うのは、今までの事件ではなかったことだ。やはり、被害に
遭ったのが身内であるという特別な事情が彼を病院に
向かわせたのかも知れなかった。

 それより少し前、タツという男から鍋島に連絡が入った。
四日前に心斎橋のラーメン屋で川辺明美の男性関係を
探るように依頼した、あの男だ。鍋島は病院で落ち合うことにした。
芹沢がこの前の売人の一件で検察庁に行ったきりしばらく
帰って来そうになかったので、タイミングとしてはちょうど良かった。

 タツは鍋島の情報屋で、本名を龍川(たつかわ)と言った。
歳は鍋島より三つ四つ上で、ミナミのキャバクラで用心棒の
ような仕事をしながら、パチンコでも同じくらいの収入を得ている。
鍋島とは、酔っ払って堂島のブティックのショウ・ウィンドウを壊し、
店員に怪我を負わせて逮捕されたときからのつき合いで、彼は
鍋島のどう見ても警官らしくないところが気に入ったのだ。
 それ以来、タツは頼まれもしないのに自分が仕入れたミナミの
裏情報を鍋島の耳に入れるようになった。鍋島は最初、
情報提供者と言えば聞こえはいいが、しょせんは密告者、
スパイであり、そんなものを抱えるのは自分の性分に合わないと
思って相手にしなかった。しかし、大阪府下全域を管轄とする
本部の捜査員とは違って、一所轄署の刑事にすぎない鍋島に
とっては、なにぶんミナミは管轄外である。普通に捜査するには
たいして支障はないが、少し脇道にそれて情報収集する場合
などは、そのためにいちいち所轄署に話を通すのも面倒だし、
かと言ってそれをせずに調べてまわるとなると、途端にやりにくく
なるのが堅気の世界と違うところだ。警察もどこかと同じで、
縄張りがものを言う社会なのだ。強行犯係の刑事としての
経験を積むにつれてそのことを実感した鍋島は、いつの間にか
情報屋としてのタツの存在を受け入れることに抵抗を感じなく
なっていた。

 いろいろな材質と長さの管やコードで繋がれた杉原をICU室の
ガラス越しに眺めたあと、鍋島は一階のメインロビーに下りて来た。

 タツは処方された薬の引き渡し窓口の前に並んだ長椅子の
一つに座っていた。どこか具合の悪い患者を装ってか、大きな
背中を丸めてかがみ込むように腕を組んでいる。ご丁寧にも
大きなマスクまで着けていた。

 鍋島が近づくと、頭を下げて場所を空けた。患者仲間の関係を
演じているつもりらしい。
 腰を下ろした鍋島が長椅子脇のマガジンラックから取った
週刊誌を広げてすぐ、タツはその誌面の上に一枚の写真を置いた。
 写真には高級外車から出てきたところの一人の男が写っていた。
「──河村忠広(かわむらただひろ)。門真(かどま)出身の三十二歳。
新歌舞伎座の近所で若い子向けの『クラブ』っちゅうのをやってる
男ですわ」
「ヤクザやないんか」
「違うね。気の荒い若いのをはべらしてるとこなんか、それっぽい
けど。というのも、十年ほど前まで大阪の北部一帯をまとめてた
走り屋のヘッドやった」
あがりか」
 鍋島は写真を手に取った。仕立ての良さそうなスーツに身を
包み、長めの髪を自然なウェーヴに流して格好つけてはいるが、
言われてみれば顔つきはもろにヤンキーだ。
「親父がちっちゃい不動産屋やってたんやが、かつてのバブルで
そこそこ懐温まったらしい。新大阪あたりの箱庭みたいな土地に
ビル建てて、この息子に任せた。そしたら意外にも息子は商才を
発揮してな。ビデオレンタルやらテレクラやら、なんやしょーもない
店ばっかりやったけど、これが当たった」
「ふうん」
「それから十年ほどの間に次々と店を出して、全部そこそこ
軌道に乗せてる。ゲーセン、カラオケボックス、最後に今の
クラブや。鍋島さん、クラブって知ってました?」
「知ってるに決まってるやろ。お酌してくれるお姉さんやなくて、
有名なDJがいてるとこや。昔で言うディスコ」
「そう。それ」とタツは意外そうに鍋島を見た。「案外ちゃんと
知ってるんやな」
「かろうじてまだ二十代やからな」
「せやけどまぁ、ディスコみたいなとこて言うたら、裏では
いろいろありそうや」
「せやな。おんなじ子供の溜まり場というても、カラオケやら
ゲーセンとは違うか」
 そう言いながら鍋島は頭の中で考えた。子供の溜まり場。
少年課の刑事。漠然とではあるが、一応は繋がる。

「明美はクラブの客ですわ。店の女の子連れて来て、派手に
遊んでくれる。その中で一番年増は明美やけど、前も言うた
みたいに気のええ女ですし。自分とこの若い連中の面倒見も
良かったんで、同じように親分肌の河村は気に入ったらしい」
「レディースのトップに通じるとこあるんとちゃうか」
と鍋島は小さく笑った。「走り屋やってたころの前科(マエ)は?」
「そんなん知らんがな。そっちで調べなはれ」とタツは迷惑顔で
鍋島を見た。
「そらそうやな」
「ただ、若い連中はほとんどが鑑別所か少年院経験者みたい
ですよ」
「へえ」
 ということは、その中に杉原の世話になった人物がいるかも
知れない。
「鑑別所出るときも、親に見捨てられて迎えにも来てもらわれ
へんような子供は、ひねくれてしもて結局立ち直られへん。
保護観察員の前から姿をくらませて、ヘタしたら誘惑に負けて
元の世界に戻ってしまう。そうなったらまた塀の向こうに逆戻りや。
そんな行き場のない連中が黙って受け入れてくれる河村のもとに
集まって来たという噂ですわ」
「せやけど、タダでは面倒見てくれへんやろ」
「ええ。そういう連中の中には、河村のためやったら何でも
やるっていう危なっかしいのがいるそうやから──」
 タツは鍋島に顔を寄せて小声になった。「汚い仕事なんかは
そいつらにやらせるとかね。想像やけど」
「一宿一飯の恩義か。やっぱりヤクザやないか」
「とにかくまぁ、そんなとこですわ」
 タツは言うと、ここで初めて身体を起こした。「ここへは仕事
ですか。それとも誰か入院してるんですか」
「まあ、ちょっとな」
 はっきりと答えない鍋島に、訊いた自分が間違っていたのだと
タツは納得した。そしてゆっくりと周囲を見渡しながら言った。
「……病院はどこも一緒やな。清潔で明るいけど、やっぱり
陰気くさい」
「ああ」
「思い出すわ。母親が入院してたときのこと」
 タツは遠くに視線を移した。「長いこと入ってたんや」
「何の病気や」
「腎臓や。透析の毎日で、最後は炭みたいに黒うて干からびてた」
「亡くなったんか」
「もう十五年も前の話や」とタツは言って愛想笑いをした。
「十五年前か」
 鍋島は俯いて呟いた。俺と同じやないか。
「ああ。俺が鑑別所出て半年もたたへんうちやった」
 タツは言うと自分に振り返った鍋島を見てにやりと笑った。
そして長椅子の背もたれに掛けていた左手の手首をくるりと
裏返し、その手のひらをヒラヒラとなびかせた。「これだけの告白、
福澤センセ一人では安いやろ」
 少しだけ間があって、その手にもう一枚の一万円札が
乗せられた。
「知らんあいだにおまえの体験談に変わってたやないか」
 鍋島は言うと立ち上がった。

 
 タツと別れた鍋島は病院の玄関でタクシーに乗り込み、
船場に向かった。そして川辺明美のマンションでの喧嘩騒ぎを
蒲生署に通報した長沢辰雄を勤務先に訪ね、河村忠広の
写真を見せた。しかし長沢は写真の男が喧嘩の中にいたか
どうかははっきりしないと言った。鍋島はたいしてがっかりも
せずに、今度は地下鉄中央線で森ノ宮(もりのみや)を目指した。
森ノ宮には本山茂樹と岡部美弥の通う高校があった。

 高校に着いたのは、ちょうど七時限目が始まった頃だった。
 鍋島は最初、放課後まで時間を潰し、校門前で二人のうち
どちらかが出てくるのを待とうかと思ったが、何しろこの高校は
全校生徒が千人を超えるマンモス校だ。同じ制服姿で校門を
出てくる多くの生徒たちの中から二人を見つけだすのは
自分一人では難しいと判断したので、ここはあえて校長に
面会を申し入れ、二人を呼び出してもらうことにした。

 もちろん、学校側は鍋島を警戒した。相変わらず刑事らしくない
彼の服装も悪かった。警察手帳を見せ、丁寧に事情を説明し、
あくまで二人は参考人であることを強調したが、校長はなかなか
首を縦に振ろうとはしなかった。
 激しい校内暴力や生徒による犯罪などが発生したときなどは、
その処理をさっさと警察に押しつけて自分たちはまるで無関係と
ばかりに高見の見物を決め込むくせに、こんなときはやたら
教育現場の自治を守ろうとする。子供が学校にいる間はその
保護責任は親ではなく学校にあるのは否定しないが、
何も二人を連れていこうとしているわけではない。ちょっと話を
聞くだけなのにこの疑いようは何なんだと、鍋島はもう少しで
校長たち──即ちその向こうには大阪府教育委員会の存在が
ある──を相手に喧嘩をふっかけるところだった。

 結局、校長は西天満署刑事課に電話を入れて鍋島の身分と
捜査の意図を確認した。そのあいだ鍋島は憮然とした表情で
校長室の椅子に座っていた。まるで父親のおつかいで酒を
買いに来た子供だ。酒屋の親父は疑って、子供の親に電話して
彼の言い分が本当かどうかを確認しているのだ。いくら童顔の上に
ラフな服装のせいだとはいえ、やがて二十代最後の年を
迎えようかというのにこの扱いは情けなかった。
「──教頭先生、二人を呼んできてもらえませんか」
 受話器を戻しながら校長はそばに立った教頭に言った。
「分かりました」と教頭は頭を下げ、部屋を出て行った。
「刑事さん、話はここで聞いて下さい。私も同席させて
いただきますので」
「どうぞご自由に」
 鍋島は校長を見ずに答えた。

 やがて、教頭に引率された茂樹と美弥が校長室の入口に
姿を現した。
 二人の後ろには、ご丁寧にもそれぞれの担任らしき男性教師が
付き添っていた。
 校長に促されて部屋に入った二人は明らかに戸惑っていた。
たぶん、飛び抜けて悪くもなければ優等生とも言い難いごく普通の
生徒であろう二人にとって、普段から校長や教頭と面と向かって
話をすることなど皆無だったろうし、ましてや名指しで校長室に
呼ばれたこともないはずだ。それが今、わざわざ授業の途中に
連れてこられたのだ。しかも教頭や担任も一緒についてきて、
明らかにただごとではないと思ったに違いない。お互いに先を譲り、
なかなか部屋の中央まで進もうとしない様子にその不安な
胸の内が現れていた。

 ところが、二人は部屋にいたもう一人の人物の顔を見ると
少し安堵の色を浮かべた。自分たちがなぜ呼ばれたのか、
その事情が少しは見えてきたようだった。
「あ、こんにちは」と茂樹は鍋島に挨拶した。
 こんにちは、と鍋島も挨拶を返した。美弥を見ると、彼女もぺこりと
頭を下げた。芹沢が一緒でないのが残念そうだった。
 二人はソファーに並んで座った。
「ごめんね、授業中に。すぐに終わるから」
 鍋島は懐から写真を取り出した。「この前のオヤジ狩り──
というか、喧嘩のことやけど」
「オヤジ狩り?」
「喧嘩?」
 二人の担任が口々に言った。
「この二人が目撃したそうです。あとで詳しく説明します」
 教頭が素早く答えた。担任たちは頷いた。
「その中にこの男はいてなかった?」
 鍋島に差し出された写真を、茂樹と美弥は交互に覗き込んだ。
「……分かりません」と美弥は首を振った。
「よーく見て。きみ、一人だけ手を出さずに見てる男がいたって
言うてたやろ。その男のことはちょっとは分かるんと違うかな」
「はい。似てるような気もしますけど、暗かったから──よく
覚えてないんです。すいません」
 まともな言葉遣いもやったらできるんやな。それにしては
このあいだとえらい態度が違うやんけと思いながら、鍋島は
頷いて茂樹に振り返った。
「本山くんは?」
「……たぶん、この人やと思います」
「本当に?」
「はい。この人でした」と茂樹は言ってすぐに首を捻った。「と、
思うけどなぁ……」
 美弥が茂樹に振り返って顔をしかめた。余計なことを、
と言いたいのが鍋島には分かった。そうか。もう関わり合いに
なりたくないんやな。学校に知れたから、ちょっと面倒に
思い始めたんや。
「本山くん。自信がないならそう言えばええんやで」
 校長が言った。「ええ加減なこと言うたら、刑事さんも困らはる」
「あ、はい。でも、きっとこの人です。間違いないと思います」
「──分かった。ありがとう」
 そう言うと鍋島は茂樹に頷いた。そして写真をブルゾンの
内ポケットにしまうと、立ち上がって校長に向き直った。
「お手数掛けました。私はこれで退散しますけど、あとで
この二人をあれこれ問い詰めないであげて下さい。二人は
何も悪いことはしてません。ただ公園を散歩してて、偶然に
喧嘩を目撃したっていうだけなんですから」
「ええ。分かってますよ」
 いや、絶対に分かってないでと思いながら、鍋島は校長室を
後にした。

 

 少年課の書類キャビネットを開け、調べ終わった捜査資料と
新しい資料を入れ替えていたところへ、うしろでカタリと遠慮がちに
ドアの開く音がした。
 入ってきた人物はがらんと静まり返った部屋を見て、所在なさげに
立ち尽くした。小柄な中年男だった。男のところからは、並んだ
デスクが死角となってキャビネットのそばに座り込んでいる
こちらが見えなかったようだ。

「──はい、何か」
  刑事が立ち上がると、中年男は大きく驚いて後ずさりした。
「あ、あああ、あの……」
「はい。何でしょうか」
 刑事はできるだけ穏やかに言って口許に笑みを湛えた。
そしてそのあいだに相手を観察した。身長一六○センチ前後、
色黒、白髪混じりの短髪、四十五から五十歳、ダークグリーンの
上着に黒のスラックス。いくぶん泳いだ目と何か言いたげに
開いた口の明らかに戸惑った表情から、いわゆる悪人の
雰囲気は感じられなかった。
「あ、あのちょっと相談が……」
「あいにく、ここの者は全員席を外してまして──」
 刑事は漠然と誰もいないデスクを見渡した。そして手にした
資料を脇に挟むとキャビネットの扉を閉め、すぐそばの来客用
ソファーを示して言った。
「どうぞ。こちらへお掛けになってお待ち下さい。ちょっと席を
外してるだけですから、電話で呼び戻します」
 男はそろそろと足を進めてソファーの前まで来た。明らかに
萎縮している。刑事が何度も座るように進めたので、ようやく
端っこに腰を下ろした。子供が非行に走って困り果てているの
だろうか。それとも家出か、家庭内暴力か。学校や児童相談所に
相談してもどうにもならなくてここへやって来たのだろうが、
警察に来るのは誰でも勇気の要るものだ。

 刑事は一番近いデスクの前に行き、受話器を取って会議室の
内線番号を回した。杉原の事件の捜査チームの『帳場』となって
いる部屋だった。そこには常時何人かの捜査員がいて、
三十分ほど前に彼が顔を出したときにも、少年課の刑事が
いたのを確認していた。
 電話が繋がるのを待ちながら、刑事は何気なく男に訊いた。
「どう言ったご用件ですか?」
「はあ。実は」と男は頭を掻いた。「うちの店の従業員が、ここ
何日か無断で休んでまして……そのことで、ここの刑事さんに
相談しようと」
「その方は未成年ですか」
「いえ、もう成人しています」と男は首を振った。「……昔ちょっと、
ここの刑事さんにお世話になったんで」
「そうですか。じゃあその刑事を呼んできた方がいいですね。
誰ですか?」
「杉原さんです」
 その瞬間、刑事は受話器を置いた。
「……杉原信一刑事ですね」
「ええ、そうです」と頷きながらも、男は刑事と、彼が切った電話を
交互に見た。どうして電話が切られたのかが分からないのだ。
 刑事は男のそんな疑問を十分承知しているというような表情で
一度だけ頷き、デスクを廻って来た。
「そのお話、僕がお聞きします」
「あの、でも」
「杉原刑事は長期休暇を取ってまして、ここ数日の間に出て
来ることはありませんので」
「……でもおたくは、少年課の方ではないと──」
「そうです。でもお話を聞くことはできます」
 そして刑事は場所を変えて話を聞くことを提案した。男は
明らかに躊躇していたが、杉原がいないとなれば、どのみち
誰か他の人間に聞いてもらうしかないと判断したのだろう。
それが嫌ならここで引き返すしかないのだ。
 しかし男はそうしなかった。どうせ杉原でないのなら、どこの課の
刑事だって同じだ。そう思ったかどうかは分からないが、
男は刑事についてきた。

 刑事課の来客用ソファーに座り直して、男は部屋を見渡した。
 部屋には多くの人間がいたが、刑事ばかりではないようだった。
明らかに犯罪者と分かる人相の悪いのもいた。目が合うと、
何を見てるんだと言わんばかりにガンを飛ばしてくる。男は
慌てて目を逸らした。やっぱり少年課で話をすれば良かったと
思った。
 さっきの刑事は窓際のコーヒーメーカーの前で簡易型のカップに
コーヒーを注いでいた。別の刑事が彼に話し掛け、しばらく
それを聞いていた彼はカラリと短く笑うと相手に何か言った。
その様子からはまるで緊張感が感じられない。さっき自分が
杉原の名前を口にしたときのあの鋭い表情は何だったのだろうと
男は考えた。

 やがて刑事はコーヒーを二つ持って男のもとへやって来た。
 刑事は向かいに腰を下ろし、コーヒーを男の前に置くと、
上着の内ポケットから名刺を差し出した。
「申し遅れました。刑事課の芹沢です」
「原田(はらだ)と言います。十三(じゅうそう)で中華料理の食堂を
やっています」
「それで、原田さん。従業員の方のことで杉原に相談したいと
いうのは?」
「うちの従業員が……ここ五日間、黙って店を休んでるんです。
アパートに電話をしても誰も出ないし、他の心当たりも当たったん
ですが、なしのつぶてで」
「その従業員の方は──えっと、名前をお訊きしておきましょうか」
 芹沢は手帳を取り出した。
「山口泰典(やまぐちやすのり)と言います。今年で二十歳です」
「山口さんは、杉原とどういう関係ですか」
「昔、ちょっとやんちゃしてましてね。警察に捕まったことが
ある子で──そのとき杉原さんのお世話に」
 原田は言うとコーヒーに口をつけた。「暴走族に入ってたことが
あるんです。その仲間と盗みの真似ごとみたいなことをやっては
逃げる途中で事故を起こして。逮捕されたときはまだ十五歳でした」
「逮捕したのは杉原ですか」
「はい。ほんまにお世話になりました。私はあの子ら──いえ、
姉がいるんですけどね。その両親とは旧知の間柄でした。
同じアパートに住んで、隣同士やったんです。けどあの子が
八歳のときに母親が事故で死んで、父親はそのあとすぐに
蒸発したんです」
「それで原田さんが親代わりに」
「いえ、父親が蒸発してすぐに姉弟は母方の親戚に引き取られて
行きました。それからしばらく会うことはありませんでした。
けど泰典が逮捕されたときに、どういうわけか私のところに
連絡が入ったんです。同じアパートに住んでた頃から、私は
今の場所で店をやってましたから」
「親戚の方というのは?」
 原田は首を振った。「……泰典が暴走族みたいなもんに
入ってしもたのも、その親戚のところが嫌やったからでしょう。
杉原さんがそう言うてはりました」
「親戚は親代わりにはなってくれなかったんですね」
「ええ。その二年ほど前に姉が中学出て看護学校の寮に
入るためにその親戚の家を出たんです。泰典はそれも
寂しかったようです」
 原田は大きく溜め息をついた。「よう我慢した方やと思います」
「それで、泰典くんは逮捕のあと──」
「鑑別所に入りました。一年ほどで出てきて、うちで引き取り
ました。店でも働くようになったんです。けど半年ほどでふらっと
おらんようになって──また逆戻りです。今度は一人で強盗
ですよ」
 芹沢は黙って聞いていた。
「独り暮らしのお年寄りの家に忍び込んでは少額の金を
盗んでたんですがね。ある日入ったとこで家人に見つかって、
脅しのために持ってたナイフでお婆さんを切りつけたんです。
お婆さん、指の大事な神経が切断されて、動かんようになった」
「今度は少年院ですか」
「もちろんです。十七でした。十七で本物の悪人になって
しもたんです、あの子は」
「杉原はその事件も?」
「いえ、それは違いました。よその警察に捕まったんです。
でも心配して何度も足を運んで下さいました。警察にも
裁判所にも、少年院にも」
「少年院を出てきたのはいつですか」
「去年の春です。出てきたときは、今度こそ真面目になるって、
私と家内とあの子の姉と、それから杉原さんの前で誓ったんです」
「それが駄目だったんですか」
「いいえ。ずっと真面目でした。今度こそ心を入れ替えたんです。
店を手伝う姿勢も前のときとは全然違いました。それで、
そろそろ仕込みを手伝わせてもええかなと思い始めてたん
ですから」
「なのに突然、店に出てこなくなったと」
 芹沢は言って原田を見た。「お姉さんに心当たりは?」
「ないようです。でも看護師ですから、勤務時間が不規則で
普段からあまり会えてないみたいでした」
「本人は一人で住んでるんですか」
「ええ。半年ほど前に私のところを出しました。自立させるのも
大切やと思たんです。杉原さんに相談したら、それがええと
言わはって、部屋を借りるときの保証人になってくれはったんです。
おかげで、それに見合うだけの立ち直り方をしてくれました」
「交友関係はどうなってました?」
「……そういう経歴がありましたから、ほとんど友達はいない
ようです。少年院を出てきた直後に昔の友達のようなのが
何度か店に訪ねてきたことがありましたが、杉原さんが知って
話をつけて下さったんです。そしたらその連中も来なくなりました」

 芹沢は溜め息をついた。杉原の尽力ぶりに、今さらながら
頭が下がる思いだった。たった一人の暴走族上がりの少年を
ここまでフォローしているとは。今まで関わった子供の全員に
対しても同じなのだろうか。じゃ、みんな合わせるとどうなっち
まうんだ。芹沢にはほとんど信じられない話だった。同時に
この二日間、ひたすら面倒だと思いながら漫然と捜査資料を
目で追っていただけの自分が世界一のアホに思えてきた。
──なあ若造、書類を読んで何か特別なことが分かったか?

「それじゃあ、いなくなった理由がまるで分からないと」
「ええ。何かの事故に巻き込まれたんやないかと思うほどです。
新聞やニュースを気にして見てますが、あの子の名前が
出てくるようなこともなければ、それらしい身元不明の死人が
出たって言うこともありません。それで、杉原さんに相談しようと
思ってここへ」
「そうでしたか」
「杉原さんはどう言う事情で休暇を?」
「それはちょっと、申し上げるわけにはいきません」
「……そうですか」
 と原田は俯いたが、すぐに顔を上げて芹沢を見た。
「でも杉原さん、そんなこと何もおっしゃってませんでしたよ」
「えっ?」
「あの人、普段から自分のこといろいろ話される人でしょう。
最近うちの店によう来られてましたけど、長期休暇のことなんか
何も言うてはらへんかったけどね」
  原田は言うと首を傾げた。
「最近、お店によく来られてたんですか?」
「ええ。普段は月に一、二回顔を見せてくれはるんですけどね。
ここ十日ほどは二日に一回くらい来られてました」
「二日に一度?」と芹沢は聞き返した。「多くないですか」
「ええ。せやから泰典のことも何か知っておられるんと違うかと
思たんです。あの子が最後に店に出てた日も、来られてましたし」
「それはいつです?」
「六日前です」
「十月二十六日ですね」
「え、ええ」
 原田は芹沢が日付を即答したことに少し驚いていた。

 芹沢は黙って頷くと、軽く頭を下げて立ち上がった。自分の
デスクに行き、電話を取ってもう一度さっきの会議室につながる
内線番号を押した。

 受話器を耳に当てて顔を上げたとき、鍋島が帰ってきた。
 鍋島は間仕切り戸を開けて部屋に入ってきた。そして電話を
している芹沢と目が合ったとき、芹沢が小さく頷いて言った。
「ちくしょう、ビンゴだ」


目次 へ                                       
第三章 5 へ

 



拍手[0回]

PR

この記事へのコメント

Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
管理人のみ閲覧できます
 

カレンダー

11 2017/12 01
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

カウンター

ビジター

最新コメント

[05/19 スイーツマン]
[05/17 スイーツマン]
[05/17 スイーツマン]
[06/24 奄美 剣星  (旧称/狼皮のスイーツマン)]
[05/02 maki]
[10/11 かなる]
[08/18 狼皮のスイーツマン]

お知らせ

日々の暮らしに追われ、長期に渡り記事の更新が滞っている状態です。申し訳ありません。



「佳日の紫丁香花 (ライラック) 〜For Your Splended Wedding〜」完結しました。

★Web拍手ボタンを各記事の下部に設定し直しました。ホメてやろう!という方はクリックお願いします。

縦書きでも読めます




Amazonでましゃ

rakuten

プロフィール

HN:
みはる
性別:
女性
趣味:
映画、読書、福山雅治
自己紹介:
好きな作家 
Ed McBain
Pete Hamill
宮部みゆき 
高村薫 
東野圭吾

好きな役者 
ブラピ 
佐藤浩市

好きなオトコ
福山雅治
        

Nicotto Town

バーコード

Copyright ©  -- およそ【文学】とは言い難いけれど。 --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]